第3回 『Tシャツが乾くまで』――樹生という人 ―― 愛情の奥にある依存と、心の拠り所

これまで第1回では「充」、第2回では「あずさ」について、私なりに考えてきました。
今回は、あずさの夫である「樹生」について考えてみたいと思います。 優しく、生真面目な樹生 樹生は、素朴で生真面目、そして基本的には優しい男性です。
仕事にも家庭にも誠実で、妻のあずさを愛し、息子の翔くんを大切にしています。
あずさが亡くなった後の翔くんとの関係を見ても、子煩悩な父親であることが伝わってきます。
ただ、少し不器用なところがあります。
悪気はないのでしょうが、思ったことをそのまま口にしてしまい、相手を不快にさせることがあります。
また、樹生には「夫婦なのだから、考え方も同じはずだ」という思い込みがあるように感じました。 あずさに同意を求めるような話し方にも、その一面が表れていたように思います。
私は、樹生のこうした性格が、どのように形づくられてきたのかに興味を持ちました。
母親との関係から見えてくるもの
樹生の母親は、孫の翔くんにいろいろな物を買い与えています。
樹生は、その様子を「手懐けている」と表現しています。
私は、この言葉が気になりました。
母親は、子どもや孫に愛情を注いでいるつもりなのでしょう。
しかし、物を与えることと、子どもの気持ちを受け止めることは、同じではありません。
もう一つ、印象に残った場面があります。
幼い樹生が、水族館で迷子になり、うずくまっていた場面です。
ようやく母親が見つけたとき、樹生はどれほど安心したかったことでしょう。
ところが、母親がかけた言葉は、
「あなたが、来たいって言ったからきたんじゃないの」
というものでした。
私は、この場面に、幼い樹生の寂しさを感じました。
迷子になって怖い思いをした子どもが求めているのは、まず安心できる親の存在ではないでしょうか。
樹生は、母親から物や世話を与えられながらも、自分の気持ちを十分に受け止めてもらえない経験をしていたのかもしれません。
私は、こうした親子関係が、樹生の大人になってからの人間関係にも影響している可能性を考えました。
なぜ、あずさに惹かれたのか
あずさが樹生を好きになった理由を知る場面があります。
会社の受付で働いていたあずさは、受付係だけでなく、警備員にもきちんと挨拶をする樹生の姿を見ていました。
相手の立場によって態度を変えない。
その人柄に、あずさは惹かれたのでしょう。
では、樹生は、あずさのどこに惹かれたのでしょうか。
私は、あずさの天真爛漫さや自由な生き方に、樹生が強く魅力を感じたのではないかと思います。
樹生は、物事を計画的に進め、家庭についても自分なりの考えを持っています。
一方、あずさは、誰に対しても物怖じせず、自然に人との距離を縮めていきます。
性格の異なる二人
私は、人が恋愛感情を抱くとき、自分にはないものを持つ相手に強く惹かれることがあると考えています。
そこには、理性だけでは説明できない、本能的な感情も働くのでしょう。
樹生にとって、あずさは自分の知らない世界を見せてくれる存在だったのかもしれません。
同時に、自分の不器用さも受け止めてくれる、安心できる存在だったのではないでしょうか。
そして、あずさにとっても、樹生の誠実さや家庭を大切にする姿勢は、これまで経験してこなかった安心感につながっていたのかもしれません。
私は、二人が互いに自分にはないものを求め、惹かれ合ったように感じています。
あずさの死によって崩れたもの
樹生にとって、あずさの突然の死は、計り知れない悲しみだったと思います。
それまで当たり前のように続いていた家族の日常が、突然失われてしまったのです。
さらに、あずさが毎月第3金曜日に充と会っていたことを知ります。
樹生は二人の関係を疑い、真相を確かめようとします。
私は、その行動に、単なる嫉妬だけではないものを感じました。
樹生は、
「自分とあずさは分かり合えている」
「自分たちは幸せな夫婦だ」
と信じていたのでしょう。
しかし、自分の知らないあずさの一面があったことを知り、その確信が揺らぎ始めます。
私は、ここに樹生の「自分という軸」の問題があるように感じました。
自分が信じてきた夫婦関係が、自分自身の存在を支える大きな柱になっていたのではないでしょうか。
だからこそ、その柱が揺らいだとき、樹生は強い不安に襲われたのかもしれません。
そして、あずさを信じたいという気持ちが強いからこそ、充に怒りを向けてしまう。
もし、あずさ自身の意思で充と会っていたことを受け入れれば、自分が信じてきた夫婦関係そのものを見直さなければならなくなります。
樹生にとって、それはあまりにもつらいことだったのではないでしょうか。
私は、充を責める樹生の姿に、自分自身の心を守ろうとする働きがあったように感じました。
愛情なのか、依存なのか
私は、樹生の姿を「大人の愛着」という視点から考えてみたいと思います。
幼い子どもにとって、親や身近な養育者は、安心を求める大切な存在です。
不安になったとき、怖い思いをしたとき、気持ちを受け止めてもらう。
そうした経験の積み重ねが、人を信頼する感覚や、自分自身への安心感を育んでいくと考えられています。
樹生にとって、あずさは「心の拠り所」になっていたのではないでしょうか。
しかし、私は、ここに一つの問題を感じました。
それは、相手を愛することと、自分の安心を相手に委ねることは、
必ずしも同じではないということです。
樹生は、あずさを深く愛していたのでしょう。
けれども、あずさにも、自分とは異なる考えや、自分の知らない心の世界があることを、どこまで理解していたのでしょうか。
相手を信頼することと、相手は自分と同じ考えであると信じ込むことは異なります。
私は、樹生の中に、愛情と依存が入り交じった心の動きがあったのではないかと考えています。
また、樹生は母親との関係において、精神的な自立が十分に進んでいたのだろうか、
という疑問も感じました。
ただし、涙を流すことや、息子に愛情を示すこと自体が、精神的な未熟さを意味するわけではありません。
私が気になるのは、樹生が自分の不安や寂しさを、どのように受け止め、向き合っていたのかという点です。
咲子に求めた新たな安心感
もう一つ、私が気になった場面があります。
樹生が、咲子の髪の匂いにあずさを重ねるような仕草を見せる場面です。
咲子を抱き締めようとしたようにも見えましたが、電話の着信によって、その動きは止まります。
私は、あの場面が強く印象に残っています。
樹生は、あずさを失った寂しさを、咲子によって埋めようとしていたのでしょうか。
それとも、同じように大切な人を失った咲子に、自分の気持ちを理解してもらいたかったのでしょうか。
私は、樹生が咲子に向けた感情には、恋愛だけでは説明できないものがあったように感じています。
悲しみを共有できる相手がいる。
自分の気持ちを理解してくれる相手がいる。
そのことが、人にとって大きな支えになることは確かです。
しかし、相手に心の安らぎを求めることと、相手自身を理解し、尊重することは、必ずしも同じではありません。
樹生は、あずさを失ったことで、新たな心の拠り所を求め始めていたのでしょうか。
私は、その可能性も感じました。
樹生という人から考えたこと
私は、樹生の性格や行動には、幼い頃からの愛着のあり方が関係しているのではないかと考えています。
しかし、樹生を「不安型」「執着型」といった分類に当てはめ、それだけで理解したいとは思いません。
人間の心は、いくつかの型だけで説明できるほど単純なものではないからです。
また、樹生が「愛着障害」であると断定することもできません。
私が大切にしたいのは、その人がなぜ、そのような行動を取るようになったのかということです。
樹生は、家族思いの優しい男性です。
その一方で、あずさを失ったとき、深い悲しみだけでなく、自分自身の安心を支えていたものまで失ったのかもしれません。
水族館でうずくまっていた幼い樹生。
そして、妻を失い、悲しみと疑いの中で揺れ動く大人の樹生。
この二つの姿を重ねてみると、私は、人の心を理解するためには、その人が歩んできた人生にも目を向ける必要があるのではないかと感じます。
そして、もう一つ考えさせられたことがあります。
人は、誰かを心の拠り所にしながらも、その人に自分のすべてを委ねるのではなく、自分自身の心の中にも安心できる場所を育てていくことが大切なのではないでしょうか。
私は、その過程こそが、大人になってからの愛着の「修復」にもつながっていくのではないかと考えています。
家族問題相談室 中村 喜生

