第1回 「逃げる人」の心の中にあるもの――ドラマ『Tシャツが乾くまで』から考える、大人の愛着

更新日:19 時間前

なぜ私は、このドラマにこれほど惹かれたのか 先日、TBSのドラマ『Tシャツが乾くまで』が最終話を迎えました。
私は第1話からこのドラマを観ていました。
回を重ねるごとに惹かれ、録画したものを何度も見直すほどになりました。
私にとって、これほど「人の心」について考えさせられたドラマは、久しぶりでした。 では、なぜ私はこの作品にこれほど惹かれたのでしょうか。
物語のおもしろさや、出演されている方々の演技に魅了されたことはもちろんです。
しかし、もう一つ理由がありました。
私はこれまで、「大人の愛着障害」について学び、自分なりに考え続けてきました。
そのためでしょうか。
このドラマを観ているうちに、登場人物が「何をしたのか」だけではなく、
「なぜ、この人はこうするのだろう」
ということが気になり始めたのです。
人を大切に思っているのに、なぜ離れてしまうのか。
相手を信じたいのに、なぜ信じきれないのか。
自分の気持ちを、なぜ大切な人に言えないのか。
人を愛することと、人と一緒に生きることは、同じなのだろうか。
このドラマに登場する人たちは、それぞれ異なる過去や思いを抱えながら、人と関わっています。 私はその姿を観ながら、
「愛着という視点から見ると、また違ったものが見えてくるのではないか」
と考えるようになりました。
登場人物を「診断」したいわけではありません
最初に、お伝えしておきたいことがあります。
私は『Tシャツが乾くまで』が「愛着障害を描いたドラマ」だと言いたいわけではありません。
また、登場人物を見て、
「この人は愛着障害です」
「この人はこのタイプです」
と診断したいわけでもありません。
脚本を書かれた方が、どのような意図で一人ひとりの人物を描かれたのか。
そのすべてを、一人の視聴者である私が知ることはできません。
だからこそ、作者の意図を決めつけるのではなく、 作品が丁寧に描いた人間の姿を大切にしながら、
「その行動の奥には、どのような心があるのだろう」
と考えてみたいのです。
正解を出すためではありません。
このドラマを一つのきっかけとして、「人の心」について一緒に考えてみたいと思います。
私が最初に気になった、充(みつる)という人物
その中で、私が特に気になった人物がいました。
咲子の夫、充です。
充には、人との関係から「逃げる」という行動が見られます。
表面だけを見れば、
「どうして逃げるのだろう」
「なぜ話し合わないのだろう」
「残された人の気持ちはどうなるのだろう」
と思います。
実際、逃げるという行動によって、周囲の人が傷つくこともあります。
ところが物語が進み、充の子ども時代が描かれるにつれて、
私は別のことを考えるようになりました。
「ただ、愛されていなかった」という子ども時代
充は、自分の幼少期について語ります。
両親から殴られたり、蹴られたりして育ったわけではありません。
食事はあり、お風呂にも入り、服も洗濯してもらえた。
けれども、両親は充自身に関心を向けてくれなかった。
親の関心を引こうとしても、十分に応えてもらえない。
誕生日を家で祝ってもらった経験もなく、
誕生日とは祝ってもらうものなのだということを、家庭の外で知ります。
この充の子ども時代を観ながら、私は考えました。
子どもに衣食住を与え、暴力を振るわなければ、
それだけで子どもの心は満たされるのでしょうか。
子どもが求めているもの
子どもに食事を与えること。
清潔な服を着せること。
学校へ通わせること。
安全な生活を守ること。
もちろん、どれも大切です。
しかし、子どもが安心して育つためには、それだけではないものも必要なのではないでしょうか。
自分を見てもらうこと。
話を聞いてもらうこと。
悲しいときに気づいてもらうこと。
うれしいときに一緒に喜んでもらうこと。
不安になったときに、安心できる人のところへ戻れること。
「私はここにいていい」
「困ったら、この人のところへ行っていい」
そう感じられる関係が、子どもの心の中に少しずつ積み重なっていく。
愛着を考えるとき、私はこの「安心できる関係」がとても大切なのではないかと思っています。
「なぜ逃げるのか」から「なぜ逃げるようになったのか」へ
そこで、私は充の「逃げる」という行動を、もう一度考えてみました。
最初の問いは、
「なぜ充は逃げるのだろう」
でした。
しかし、充の子ども時代を知ったあと、私の中で問いが少し変わりました。
「充は、なぜ逃げるようになったのだろう」
人と深くつながること。
誰かを必要とすること。
自分の本当の気持ちを相手に見せること。
それらが、すべての人にとって同じように安心できることだとは限りません。
幼いころから、自分の気持ちを受け止めてもらう経験が乏しかったとしたら。
誰かに頼ることで安心するという経験を十分に持てなかったとしたら。
大人になって大切な人と出会っても、「近づきたい」という気持ちと「離れたい」という気持ちが、
同時に生まれることもあるのではないでしょうか。
私は、充の行動を正当化したいのではありません。
ただ、
行動だけを見て人を判断することと、その行動の奥にあるものを考えることは違う。
充という人物を通して、そのことを考えさせられました。
「嫌われたくない」という気持ち
さらに興味深かったのは、充が咲子を大切に思っていなかったから逃げた、
とは単純には見えないことです。
むしろ、大切だからこそ嫌われたくない。
嫌われたくないから、本当の自分を見せられない。
本当の自分を見せられないから、苦しくなる。
そして、そこから離れたくなる。
もしそうだとしたら、
「好きだから近づく」「嫌いだから離れる」
というだけでは、人の心を説明できません。
愛されたい。
でも、怖い。
近づきたい。
でも、離れたい。
人の心には、相反する思いが同時に存在することがあります。
私は、そこにも「愛着」という視点から考えさせられるものを感じました。
「帰る場所」が増えるということ
充について、もう一つ心に残ったことがあります。
充は、人との関係から逃げたとき、実家へ戻ることがありました。
けれども、幼いころの充が両親から十分に関心を向けてもらえなかったことを考えると、 私は、
「帰る家があること」と「心から安心して帰ることのできる場所があること」は、同じなのだろうか。
と考えました。
咲子から離婚を申し出られたとき、充は家を出ます。
そこには、咲子を思っての気持ちもあったのかもしれません。
しかし、二人の関係は、そこで完全に終わったわけではありませんでした。
充には、再び帰ることのできる場所があったのです。
そして、最終話。
バスに乗った充のそばに、一人の少年がいます。
一視聴者である私には、その少年が、どこか幼いころの充自身と重なって見えました。
その少年に、充はこう語りかけます。
「大丈夫、大人になると帰る場所増えるから」
私は、この言葉がとても心に残りました。
かつて、人との関係から逃げていた充。
その充が今度は、一人の少年に「帰る場所」について語っている。
もちろん、その少年が何を意味しているのか、この場面にどのような意図が込められているのかを、一人の視聴者である私が決めつけることはできません。
それでも私は、咲子との関係を通して、充の中で「帰る場所」というものの意味が、
少しずつ変わっていったのではないかと感じました。
幼いころから暮らしてきた家に戻ること。
そして、自分を受け止めてくれる人のところへ戻ること。
同じ「帰る」という言葉でも、その意味は違うのかもしれません。
私には、充にとって咲子という存在が、
少しずつ**「心の拠り所」**になっていったようにも感じられました。
だからこそ、充は少年に、
「大人になると帰る場所増えるから」
と言うことができたのではないだろうか。
これは、あくまで私がこのドラマから受け取った一つの感じ方です。
けれども私は、この場面を観ながら思いました。
人は大人になってからでも、新しい「帰る場所」と出会うことができるのかもしれない。
そして、その「帰る場所」は、必ずしも生まれ育った家だけではないのかもしれません。
愛着という視点で人を見るということ
私は、大人の愛着について考えるとき、
表面に現れている行動だけを見ないことが大切ではないかと思っています。
逃げる。
怒る。
相手を試す。
人を信じられない。
必要以上に相手に合わせる。
一人で抱え込む。
そうした行動には、本人にも簡単には説明できない背景がある場合があります。
「なぜ、そんなことをするの?」
だけではなく、
「この人の心の中では、何が起きているのだろう」
と考えてみる。
それだけで、その人の見え方が少し変わることがあります。
『Tシャツが乾くまで』から、これからも考えてみたいこと
『Tシャツが乾くまで』を観て、私が「人の心」について考えさせられたのは、
充だけではありませんでした。
このドラマには、それぞれ違う過去や思いを抱えながら、
人とつながろうとする人たちが登場します。
相手に言えないことを抱えている人。
人との距離の取り方に迷う人。
大切な人を失った人。
家族から距離を取り、自分の人生を生きようとする人。
人を思いながら、その思いをうまく伝えられない人。
そして、大きな悲しみを経験しながらも、周囲の大人たちに抱きしめられ、
手をつないでもらいながら育っていく子ども。
私はこれから何回かに分けて、このドラマに登場する人たちを通して、
「人とつながるとは、どういうことなのだろう」
「安心できる人がいるとは、どういうことなのだろう」
ということを、愛着という視点から考えてみたいと思います。
これはドラマの「正解」を探すためのものではありません。
一人の視聴者として、そして大人の愛着について学び考えてきた者として、
この作品から私が受け取ったものを綴ってみたいと思います。
読んでくださった方へ
人との関係で、
「どうして私は、いつもこうしてしまうのだろう」
と思ったことはないでしょうか。
あるいは身近な人を見て、
「どうして、この人はこんなことをするのだろう」
と思ったことがあるかもしれません。
すぐに答えを出さなくてもよいのだと思います。
その人の行動だけではなく、
「その奥には、どんな気持ちがあるのだろう」
と考えてみる。
それが、自分自身や大切な人を理解する、小さな入り口になることもあるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回も『Tシャツが乾くまで』に登場する人たちを通して、 「人の心」と「愛着」について考えてみたいと思います。
