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私の愛着障害

― 愛着を失い、取り戻すまでの道のり―

第1章:出会いと別れ ― 私の愛着の始まり

私は2022年、「愛着障害」という言葉を初めて知りました。
それまで25年間、精神科医の治療を受け続けてきましたが、心の深い傷は癒されず、苦しみは続いていました。
 

自分の性格や人間関係における違和感、生きづらさ。

その根源が「愛着の問題」にあると知った時、私は初めて自分の人生の本当の理由に触れたような気がしたのです。

乳児期:一歳半から四歳までの記憶と乳母の証言

 

私は、生まれてから一歳半まで、私は日中さまざまなお手伝いさんに育てられました。
夜だけは母親が見ていたそうですが、日中は常に別の手に委ねられていたことになります。

一歳半から四歳半までの間は、当時17歳の乳母が住み込みで昼夜を問わず私を育ててくれました。

その乳母は現在も健在で、私がどのように育てられたかを語ってくれています。

 

その証言から、私は以下のような3回の愛着障害の喪失体験を確信しました:

● 第一の愛着障害

生後間もない頃から複数のお手伝いさんによって育てられ、実母との安定した関係が築けなかった。


● 第二の愛着障害

 

乳母との愛着が築かれていたが、乳母は20歳になるとともに実家へ戻りました。
4歳で乳母が離れたことで深い喪失感を経験。
私は勉強を拒み、受験準備すらできない状態になりました。

 

● 第三の愛着障害

 

乳母が期間限定が呼び戻され、私は勉強を再開し、受験に合格します。
けれど再び別れが訪れると、私はまたも荒れた幼児に戻っていきました。
両親の言うことを聞かず、心が荒れてゆきました。

私は、3度にわたり「愛着の断絶」を経験したのです。

第2章:機能不全家族の中で ― 孤独な成長

私は実母に懐きませんでしょた。
私の心の拠り所は、小学校でした。
その頃、両親の仲は悪くなり、小学校3年生のある日、突然父と兄が家を出ました。

その後、私は精神的に不安定になり、成績も急落しました。

実母は精神疾患を抱え、祖父母の家に引き取られましたが、その生活も安らぎにはほど遠いものでした。

私はヤングケアラーとして祖父母の介護をしながら、生きるだけで精一杯の毎日を過ごしました。


家庭は表向き❝普通❞に見えても、内実は孤独と緊張の連続。
 

両親は最終的に離婚し、私は母方の姓を名乗ることになりました。
名前の変更は、アイデンティティを揺るがす大きな痛みであり、実母はその重みを理解していませんでした。

第3章:愛着障害の自覚 ― “なぜ”が“わかった”日

社会人・家庭人としての生活でも、私は人間関係に深く悩み、幾度となく適応障害やうつ、躁うつ状態を経験しました。

 

そして60歳を過ぎて、ようやく「愛着障害」という言葉に出会い、自らの過去を照らす光を得ました。

 

私は以下のような特徴を自覚していました:

•他人との距離感がわからない(近づきすぎる/離れすぎる)

•信じたいのに信じられない

•愛されること、愛することがわからない

•感情の抑圧や爆発

•「自分には価値がない」という思い込み

•強い依存と自己否定

 

私は弱い人間なのではなく、「一生懸命、心が生き延びようとしてきた結果」だったのです。

第4章:回復への道 ― 安全基地を得て

2024年、私は妻に「安全基地になってほしい」と涙ながらに懇願しました。

それまで私の言動に傷ついてきた妻でしたが、半信半疑で受け入れてくれました。

その瞬間から、私は修復の道を歩みはじめました。

一時は鬱状態にもなりましたが、妻は「休んでいい、そのままでいい」と言って見守ってくれました。

 

この妻の存在こそ、私の「安全基地」であり、私にとっては乳母と重なるものでした。

第5章:今、伝えたいこと ― 愛着障害と向き合う皆さまへ

愛着障害は、「人間関係の基礎」を幼少期に築けなかったことによって生じる深い心の傷です。

それは「病気」ではなく、「生き延びるためにそうするしかなかった心の反応」です。

私は、実体験をもとに、自らを臨床研究の対象として学び続けてきました。

 

以下のような課題に取り組みながら、回復の道を歩んできました:

• 大人の愛着障害

• アダルトチルドレン

• 不登校/ひきこもり

• 依存症/嗜癖

• 対人恐怖/HSP

• 毒親問題/ヤングケアラー問題

• DV/夫婦問題/子育て/介護/相続

• PTSD/フラッシュバック など

私はこれらの問題の「根っこ」に愛着障害があると考えています。

心の悩みには、過去から続く“人間関係の痛み”が必ずと言っていいほど存在します。

 

今、私にできること

私は、「心の悩み」に向き合う方々に寄り添いたいと思っています。

ただ聴き、共に考え、共に歩むために。

 

どんなに長い時間がかかっても、人は気づくことができます。

私は奇跡的に、自分が「愛着障害」であると気づけました。

 

だからこそ、気づけていない人に、そっと届くメッセージを伝えたいのです。

それが、私の使命であり、願いです。

​おわりに

「愛着障害」は決して特別なものではありません。

誰もが幼少期に抱えた小さな傷が、やがて大人になっても癒されずに残っていることがあります。

 

だからこそ、必要なのは“理解”と“共感”です。

 

私は、経験者として、学び続ける者として、悩む誰かの力になれるように、これからも歩み続けます。

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